2009-01-01から1年間の記事一覧

こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう

この歌にはおどけた感じと思いつめた感じとが同居している。おどけた感じは「ふざけた」という語がもたらすもので、思いつめた感じは「どんなあすでも」というちょっと気どった言いまわしから来ている。そして前半のおどけから後半の生真面目さへシフトする…

かなしみはだれのものでもありがちでありふれていておもしろくない

たとえば失恋したときの「かなしみ」など、当人にとっては切実なことでも他人にとっては「ありふれ」た風景のひとつでしかないことがある。もっと切実な親しい者の死についても、当事者の「かなしみ」は他者にとっては「ありふれ」た反応の一つでしかない。…

振り上げた握りこぶしはグーのまま振り上げておけ相手はパーだ

推理小説にはラストでそれまで構築されていた世界が一瞬で変わってしまうようなものがある。例えば歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』(文春文庫)、貫井徳郎『慟哭 』(創元推理文庫)、乾くるみ『イニシエーション・ラブ 』(文春文庫)など、い…

枡野浩一の短歌は「わかりやすい」か?

これが、このウェブログを書き出そうと思った初発の動機=疑問である。 もっと正確にいうと、枡野浩一の短歌は「わかりやすいだけ」なのか、ということである。 枡野短歌が「わかりやすい」ことに異を唱えるものではない。しかし、それ「だけ」なのか、とい…

本当のことを話せと責められて君の都合で決まる本当

この短歌を読んで、君のお相手である僕(仮にそう呼んでおく)が、君にふりまわされてうんざりしているのか、それとも君のわがままをほほえましく思っているのか、いずれにとるかは読む人次第であろう。 それが分かれるのは、「本当のことを話せと責められて…

遠ざかる紙ヒコーキの航跡をなぞるがごとく飛びおりた君

「航跡」という漢語は日常ではあまり使わない(かんたん短歌にしては異例だ)が、「紙ヒコーキ」の「ヒコーキ」という響きから導かれて出てきたものなのだろう。語の反復によるリズムができたので内容的には暗い歌なのに、鬱屈した感じにはなっていない。 「…