本当のことを話せと責められて君の都合で決まる本当

この短歌を読んで、君のお相手である僕(仮にそう呼んでおく)が、君にふりまわされてうんざりしているのか、それとも君のわがままをほほえましく思っているのか、いずれにとるかは読む人次第であろう。
それが分かれるのは、「本当のことを話せと責められて」という部分を、文字どおり責め立てられているととるのかどうかにかかっている。この短歌は男女のやりとりを描いていると解釈するのが一般的であろうが、警察での取り調べのような有無をいわせぬキツさもある。強要された自白による冤罪を風刺しているかのようだ。これは冗談で言っているのではない。この短歌は取り調べのようにみえるというよりは、むしろ、男女の会話を取り調べでの尋問に見立てているのである。しかしその尋問をシリアスに感じるのか滑稽なパロディと感じるのかは、思い浮かべる場面の具体例によって異なってくる。
筆者(見崎)には、二人の仲は険悪なものではなく、ほほえましいもののように思える。それは、君に向き合っている僕に余裕が感じられるからだ。僕の余裕が描かれているわけではない。何も描かれないので、わがままな君を無抵抗で受け入れている感じがするのだ。
「本当」のことさえ「君の都合で決ま」ってしまうのだから、もっと軽微なことは、それこそ君の勝手やそのときの気分や思いつきで決められてしまうのだろう。
       *
具体的な場面を考えてみた。

     (1)
「今まで何人の女の人とつきあってきたの?」
「10人くらいかな」
「本当? そんなにいるわけないでしょ、そんなにもてないでしょ」
「あ、そうだ、5人とかかな」
「うそー、まだサバ読んでる」
「ああ、この前別れた彼女がはじめてだったかな」
「そうよね、一人に尽くすタイプよね(だから私にもそうしてね)」

     (2)
「ねぇ、おなかすかない?」
「ん? 大丈夫だけど」
「本当? おなかすいてるでしょ」
「ああ、そういえばちょこっとすいてきたかな」
       *
この短歌では最初と最後に「本当」という言葉が置かれている。だが、最初の「本当」と最後の「本当」では、同じ字面でもニュアンスが異なっている。「本当」の意味がズレていくところに一首の面白さはある。一首を読むという過程を経ることによって意味が変化していく。
この「本当」という言葉の意味は「本当にあった怖い話」の「本当」のように、いくぶん軽い。「本当?」と口癖のように繰り返す女の子がいるが、言葉は繰り返されるほど意味が希釈され薄くなってゆく。この歌ではその意味の希薄化が表現されている。
最初の「本当」は真実という意味に近い。しかしそれは君には受け入れられないものだったので、「君の都合」によって耳あたりのいい「本当」へと書き換えられてゆく。もしこの歌が「真実を話してくれと責められて……」というものだったら、女の子の目には涙が浮かんでいるものになるだろう。真実なら変えられない。
「本当のことを話せと責め」たてる女の子は、口で言うこととは裏腹に、真実としての「本当」を知りたいのではない。真実は不動なので変えられないが、「本当」は二人の関係において残されることになる解釈された歴史である。
       *
この短歌にはキモになる言葉がいくつかある。ひらがなに書き直してみよう。

・ほんとうのことをはなせとせめられてきみのつごうできまるほんとう

こうしてみるとこの31文字のうち濁音になっているのはたった2文字。しかもそれは「都合で」のところに集中している。音として聞くと「都合で」の部分が濁音によって強調され、一番耳に残ることになる。「本当」が変質する最大の要因である君の「都合」がこうして際立たせられる。
       *
「君の都合で決まる本当」ということは、何が「本当」であるかの答は、僕にではなく君の中にあるということだ。僕は君に問いつめられ「責められ」るけれども、それはいわば修辞的な疑問であり本当の疑問ではない。既に答えは決まっているのだ。君は何が本当なのかという自分の推測にすぎないものを僕に押しつけようとしているのだが、その推測を僕の口から言わせたいのだ。僕の口から言わせることで、たとえ嘘でもそれは「本当」になる。嘘が「本当」になるのは君が僕を信じているからだ。
君は自分の「都合」がよいような「本当のこと」を聞きたい人である。しかし一方で、僕もまた君の「都合」に合わせて話を変えてしまうような人だということでもある。君ひとりが一方的に「都合」のよい「本当」をつくりあげるのではない。それは二人の共同作業なのだ。僕は君に「責められ」る。「責められ」ることで主体の中に君の侵入を許す。いくぶん君の言いなりになっている自分。主体を少し譲り渡すことは、くすぐったく気持ちのいいことでもある。君は僕にとっての女王様だが、その女王は僕という臣下に依存している。この二人は相互依存の関係にある。
歌の最初と最後に置かれた「本当」は、「本当=真実」から「本当=嘘」へと変化する。そのウロボロスの円環が破綻せず閉じている限りはこの二人の仲は続いていくだろう。