現代詩と歌詞

・最近、詩と歌詞について書いてみたので貼っておく。たんなる思いつき程度のもの。ご意見募集。

 さて、学校の現代文の授業のなかでは詩を読んだりすると思いますが、教科書に載っているのはちょっと昔の、萩原朔太郎とか中原中也室生犀星といった明治生まれの詩人が中心ですね。新しくても谷川俊太郎茨木のり子とかで、それでも大正の終わりか昭和初期の生まれです。みなさんのおじいさん、おばあさんくらいの世代になります。不思議なことにその人たち以後は、誰もが知っているような詩人というのは出てきていないんですね。現役の詩人で一番人気があるのがいつまでたっても谷川俊太郎という状態がずっと続いています。
 これは詩人と言われる人が少ないからではないようです。日本現代詩人会という日本を代表する詩人の団体がありまして、ホームページにその会員数を載せています。一九六〇年は二二一名でしたが、その後右肩上がりに増え続けて、二〇〇〇年はなんと九二八名になっています。入会資格は詩集や詩論を出版した者という条件がありますが、本屋の詩のコーナーはあまり盛況な感じがしません。ひっそりしています。詩集は売れないと言われていて、出版しても一〇〇部とか二〇〇部売れればいいほうです。詩人の数とジャンルの成果は比例していないような気がします。 現在はどうかというと、二〇一二年八月の通常総会の報告を見ますと、会員数は一〇三一名とさらに増えています。ちなみに、日本ペンクラブの二〇一三年五月現在の会員数をその名簿から数えてみると一七二六名、同時期の日本文藝家協会の会員数は同様に二五四二名いました。いずれの団体も文筆業関係者の集まりで、詩人を含め小説家、エッセイストなどジャンルが広いのですが、それでも詩人の倍程度の人数です。先のホームページのエッセイでは、「日本現代詩人会は会員の数と質においてすでに許容限度を超え、極言すれば崩壊寸前にあると私は見る。入会雪崩は必ず退会雪崩を誘発するにちがいない」と危機感をもって書かれていますから(「活動の歴史」http://www.japan-poets-association.com/about/katsudourekishi/)、会の実質と会員数の増大が噛み合ってないと認識されているのです。詩人が増えたことが詩の隆盛を反映しているわけではないようです。
 詩人は増えたけど、詩はそんなに盛んになっていないのではないかというのは、この会が主催しているH氏賞をみてもわかります。H氏賞は新人を対象にした詩の賞で、結果が新聞などにも掲載されます。詩人の登龍門的な存在です。ウィキペディアH氏賞の項目を見ると、第一回の一九五一年から第六三回の二〇一三年まで名前が掲載されていて、八〇年代前半くらいまでは名前の文字が青色になっている人が大半なんですが、八〇年代後半以降は赤い文字の名前がめだって多くなるのです。赤い文字の名前はつまりその人の項目がウィキペディアで立てられていないということです。せっかく大きな賞を受賞したのに、その後活躍できていないんですね。詩人の人数は増えたけど、詩は盛んになったかというと、どうもそうではないらしいのです。
 さて、八〇年代の後半になると、角川文庫で出ていた銀色夏生が流行りました。これは詩というか写真+ポエムなのですが、やはり詩のひとつには違いありません。この人は一九六〇年生まれのようですから、みなさんのおとうさん、おかあさんの世代ですね。
 九〇年代の半ばくらいになると、「詩のボクシング」という、リングの上で詩を朗読する催しが出てきました。ひところテレビでも放映されたし、まだやっているようですが、最近はあまり耳にしなくなりました。
 詩の状況に比べたら、短歌や俳句のほうが私たちの生活に浸透してきていて、本屋の棚をみても活気がある。社会が高齢化したせいでお年寄りがとっつきやすい文芸であるとか、新聞などに投稿欄があるとか、いろんな理由があると思います。例えば短歌だと、なんといっても一九八七年に出版された俵万智の『サラダ記念日』の影響は大きいのですが、ジャンルを魅力あるものにする若い才能が登場してきています。穂村弘枡野浩一林あまりなどの名前を聞いたことがあると思います。この人たちは六〇年代の生まれです。
 詩を書いたり読んだりする若い人はどこへ行ってしまったのでしょうか。私はそれはシンガーソングライターの歌詞に向かったのだと思います。それまでの紙媒体の詩から、レコードやCDに変化してきたのだと思います。発表する媒体の変化が作品のジャンルを変えるというのは、似た状況が美術でも起きています。地方の公募展なんかを見に行くとよくわかります。美術展のメインというと油彩画ですが、出品しているのはお年寄りばかりです。若い人は高校の美術部の生徒くらい。では若者が絵を描かなくなったのかというとそんなことはありません。イラストとかマンガの方に流れてるんですね。昔からの公募展にだすのでなくネットにアップしたり同人誌をつくったりする。時代にあった、よりポップな創作方法に若い人は移行しているのです。
 都築響一は『夜露死苦現代詩』(二〇〇六年、新潮社)でこう書いていました。
「コンビニ前にしゃがんでる子供が、いまなにを考えてるかといえば「韻を踏んだかっこいいフレーズ」だ。60年代の子供がみんなエレキギターに夢中だったように、現代の子供にはヒップホップが必修である。だれも聞いたことのない、オリジナルな言葉のつながりを探して「苦吟」するガキが、いま日本中にあふれてる。国語の授業なんてさぼったままで。/いったいいままで、若者たちがこんなに詩と真剣に向きあった時代があったろうか。」p9
 都築響一はその後『ヒップホップの詩人たち』(二〇一三年、新潮社)という本も出していて、オリコンのチャートには載ってこないけど若者に影響があるヒップホップの作り手たちにインタビューしています。Jポップのような商業主義とは違って自分が言いたいことを言って情報発信するヒップホップのほうが新たな時代の詩の書き手として理解しやすいとは思います。でも、受け手の大きさとしては、やはりJポップの歌詞の方が勝っていると思います。
 詩人の野村喜和夫は『現代詩作マニュアル』(二〇〇五年、思潮社、詩の森文庫)という本で日本の現代詩五〇年の歴史を書いています。そこでは一九六〇年代が黄金時代とされ、七〇年代以降は大衆社会の到来によって、それまで知識人やその予備軍である学生が享受していた高級文化である現代詩は、あるいは通俗化し、あるいは隠秘化していったといいます。八〇年代に入るとその状況は加速し、九〇年前後に二人の代表的な詩人の死によって「戦後詩の時代が終わった」「現代詩そのものが何かしらの終わりを迎えた」とまでいいます。
 ここで通俗化という視点は見逃せません。現代詩でそれをやったのが荒川洋治(七〇年代)やねじめ正一(八〇年代)だと指摘されますが、詩が生き延びるために通俗化するという方向性をとれば、それはもう流行歌の歌詞があればそれで充分だというところまであと僅かです。
 一九六〇年代の後半に詩の全集がブームになって、各出版社から何種類も日本や世界の詩全集が出てよく売れたので、商業的にも六〇年代が詩の黄金時代だったというのはわかります。現代詩の黄金時代が六〇年代だとすると、詩の閉塞と入れ替わるように歌の自作自演が盛んになっていきます。流行歌を作るのは、かつてはそれぞれのレコード会社に専属の作詞家・作曲家がいたのですが、一九六〇年代半ばにビートルズの影響でグループ・サウンズが流行ると専属作家の制度が壊れていき、若い作家らが歌詞を書き、バンドのメンバーが自前で曲を書くようになりました。なかにし礼とか阿久悠といった職業作詞家は一時代を画しました。一方で、フォークやニューミュージックのグループやロックバンドが出てきて、彼らは自分で作った歌を自分で歌いました。阿久悠ピンクレディー松本隆松田聖子秋元康おニャン子クラブやAKB48のように、作詞家はアイドルを売り出すにあたってプロデューサー的に関わることがありますが、たんなる商業主義でなく自己表現したい人たちが増えると、次第に作詞専門という人は少なくなっていきます。作詞くらい自分でできるということでしょうか。現代詩が衰退していったのと入れ替わるように、ポピュラーソングのほうでは自作自演が増えていくのです。
 詩と歌詞の関係というのは昔から親密でした。北原白秋西条八十といった人たちは詩人であり、作詞家でもありました。詩と歌は兄弟のようなものなんです。ですから、マーケットの大きいポップスに、紙媒体でささやかに発表される詩は呑み込まれる運命にあったかもしれません。現在のように専属の作詞家がいなくなり、いろんな人が歌詞を書くようになると、詩がなくても歌詞があれば充分じゃないかという気になってきます。詩に対する需要は歌詞で充分まかなわれてしまったのかもしれません。曲にのせて歌われる言葉である歌詞ではなく、あえて文字の詩として存在するならその存在意義が問われるようになる。詩にビジュアルの要素を加えた相田みつを星野富弘といった系譜があって、相田は大正の終わり頃、星野は戦後すぐの生まれです。相田は書家で、星野は味のある書体に花などの植物のイラストを添えています。言葉の内容のほかに、形の面白さで作品ができています。九〇年代終わりから活躍しはじめた326(ミツル)という人がいまして、この人は詩にイラストを添えていました。彼の成功によって、ひところ路上で自作のビジュアル詩を売っている若者をよく見かけるようになりました。ちなみに326(ミツル)は作詞もしています。相田みつをから326に至る言葉プラスαの系譜では、内容は人生訓ぽいのが特徴です。書かれた詩はこうした作品として残っていくかもしれません。これなら歌に吸収されない部分が残っています。銀色夏生の作品も写真が欠かせませんでしたね。ビジュアル詩ではなく、音声によって詩を賦活しようとする詩のボクシングも、歌詞に取り込まれようとする現代詩がその生存すべき方向を模索する試みのひとつであるように思えます。
 詩のボクシングを始めた楠かつのりはこう書いています。
「いまや喜怒哀楽の感情の発露が、ポップスやロックの歌詞に奪い取られている。実際、例えばL'Arc〜en〜Ciel(ラルク・アン・シエル)の歌詞は、戦後の現代詩を跨いで朔太郎の憂鬱な抒情性につながっているように思える。この抒情性だけをクローズアップさせれば、それはある意味において、萩原朔太郎立原道造の正当な継承者は現代のロックやポップスだということもできるだろう。」(『詩のボクシング 声の力』一九九九年、東京書籍)p160
 ここには現代詩が生き残るための危機感のようなものが感じられます。
 そもそも歌と詩とどちらが古いかといえば歌のほうです。歌から曲を取り除いたものから近代の詩のかたちは生まれてきたのであれば、やがては歌に還っていくのは自然かもしれません。寺山修司は「戦後詩の歴史は、活字による詩の歴史である。」(『戦後詩』)と書きましたが、戦後詩のみならず近代になって西洋の詩を真似た詩の形式ができたときからそうですね。口語自由詩というのは書き言葉による詩です。そしてそれは改行による余白の見せ方、句読点の打ち方、漢字の使い方などを工夫して活字で見せるものになっていきました。一方で、それへの反省から、口に出したときの楽しさを求める試みも出てきました。「いるか いるか いないかいるか」という、言葉の繰り返しや、似た音をもつ言葉の響きあいそれ自体を楽しむ谷川俊太郎の『ことばあそびうた』なんてその典型ですね。曲をつけずに歌う日本語ラップというのは、メロディに頼らないかたちで言葉を伝えようとするときにどういう方向に行くと人々に受け入れられるか試みたときに、これまで申し上げてきた要素である、書かれた詩、朗読、韻を踏むことによる響きの楽しさ、人生訓的な内容といったものを総合したようなものになっていると思います。
 詩は音楽の状態に憧れるとはよく言いますが、そもそもそれが自分の出自なのです。紙に書かれた詩というジャンルは、明治から昭和にかけての時代的なものだったかもしれません。平安時代の『梁塵秘抄』、室町時代の『閑吟集』のように、歌として書かれたものが、曲が失われたことによって、今の私たちはそれを詩のように読んでいます。それほど遡らなくても、昭和の歌謡曲でも曲を知らないで歌詞を読めばまるで詩のように読めるものがあります。
 まえおきが長くなっていますが、これまで言ったことをまとめると、詩は廃れて歌詞は栄えているということです。ただ、これからやるのは、逆に、歌詞を詩を読むように読んでみようということです。詩は廃れて歌詞は栄えているというのは、逆に言うと、皆さんが普段接している詩というのは、ポピュラーソングの歌詞だということです。歌詞を曲から切り離せば、それは詩になる。あなたたちがJポップの歌詞に感動しても、そういう歌詞は学校ではあまり取り上げてくれない。国語の教科書には中島みゆき松任谷由実といった人たちの歌詞が詩として採用されていますので全く無視されているわけではないようですが。Jポップの歌詞も丁寧に読めばそれなりの構造をもっていることがわかります。

サラダ記念日

短歌について書いたので貼っておく。
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 俵万智
いわずと知れた「サラダ記念日」である。
これが七月六日でなく、近似値であれば、七月四日(米独立記念日)、七月七日(七夕)、八月六日(広島原爆投下)などといった日付であったなら、読み手はそこに別の意味を結びつけてこの歌を解釈してしまうだろう。そういった他に意味をもつ日付をすり抜けて、サラダ記念日という軽さにふさわしい無内容な日付が選ばれている。だが、いっけん無作為にみえるが、実は他に何の象徴的な意味ももたない日付をあえて選ぶという作為がそこには働いている。
「この味がいいね」という言い方は絶妙だ。サラダの味がいい、と言っているのではない。単にサラダが美味しいと言われたのなら、この日は記念日にならなかったにちがいない。そうではなく「この味」、つまり、美味しいというより、ちょっと個性的な味加減なのであり、それは作り手である「この私」を認めてくれたということである。だからこの日が二人の記念日になるのだ。だから、この歌のキモは「この」にある。
この短歌は、無駄に具体的だ。「七月六日」とか「サラダ記念日」とかは、他の語に置き換え可能である。「五月七日はラーメン記念日」でもよかった。俵万智の歌は他にも「東急ハンズ」「缶チューハイ」などの固有名詞が出てくるものがある。こういう固有名が入った歌は、それが存在しなくなった百年後の人にもつたわるのだろうか。百年後の人も共感しうるか。俵はこう言っている。「確かな想いがそこに込められていれば、読者の人にカプセルは開いてもらえると思います。私達も今、古い歌を読んでいて、簾など今はあまり使わないものが出てきても、簾が出てくる歌の想いは共有できるわけですからね。」(『短歌の作り方、教えてください』p16)
これは、時間的な問題としてだけではなく、それを知らない人にも固有名は共感を呼び起こすか、というふうに問題を一般化できる。俵が言っているのは、人は固有名に直接反応するのではなく、固有名によって運ばれる「想い」を共有するということだ。その固有名が指すものを知っていてもいなくても関係ない。「七月六日」とか「サラダ記念日」とか、今の私達にすら何の思い入れもない語だが、そういう思い入れがないものはちょうど過去の「簾」のようなものである。俵は「七月六日」や「サラダ記念日」という「無駄に具体的」なものによって、読み手を具体的な語に反応させると見せかけて、それに実質的に何の意味も持たせないことによって、逆に「想い」を純粋に運ぶことに成功しているのである。「想い」は具体的なものごとにまとわりついた微妙なものだ。だから具体的なものを通してしか語りようがない。

こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう

 この歌にはおどけた感じと思いつめた感じとが同居している。おどけた感じは「ふざけた」という語がもたらすもので、思いつめた感じは「どんなあすでも」というちょっと気どった言いまわしから来ている。そして前半のおどけから後半の生真面目さへシフトするきっかけになっているのが「以上」という言葉である。この「以上」には、どこかキッパリしたところがある。たとえばこれを「以上」を使わずに、同じ意味の別の言葉で書き換えてみると、
・こんなにもふざけたきょうがあるからには どんなあすでもありうるだろう
・こんなにもふざけたきょうがあったので どんなあすでもありうるだろう
となって、なんだか締まりがなくなってしまう。後半の重くのしかかってくる「どんなあすでも」という部分をギュッと受けとめるには、やはり「以上」が適当なようだ。違う言い方をすれば、「以上」があるせいで、「どんなあすでも」がリアリティをもって聞こえてくる。
 この歌は全体がひらがなで書かれているが一部分「以上」のみが漢字になっている。「以上」の使われ方は今見たとおりだが、これが漢字になっているのは構造からも理解できる。この歌は対句的なのだ。
・こんな きょう ある
・どんな あす  ありうる
「以上」を中心にして、この二つの文が左右(縦書きでは上下)に配されているので、対比が一層はっきりわかる。「以上」は接続助詞として用いられており、この二つの文の関係を論理づけている。「以上」は漢字であることによって滑り止めのような働きをしている。全部ひらがなだと均質に流れてしまう視線をそこでとどめ、一旦ふんばったあとで溜めを作って後半につなげているのだ。
     *
 この短歌では「こんな」とか「どんな」といったコソアド言葉が用いられている。「こんな」とか「あんな」とか言われても、読み手にはその内容がわからない。そこで読み手はイメージを自分の経験から引っ張りだして推測することになる。「コ・ソ・ア」系の指示詞は、それを指すものが文中にないとき、読み手がそこに自分の経験を代入して補ってやるという作業が一手間要請される。それがうまくいけば読み手にダイレクトに訴えかけてくるものになるだろうけれど、しかし一首の自律性としては弱いものと言わざるをえない。
 筆者(見崎)はこれまで歌詞の分析などをとおして「あの頃」だの「あの日」だのといったコソアド言葉を多用する歌にはあまりいい歌がないと思っていた。そもそも代入的な読み方(解釈)には疑問があるし、歌詞の書き手がもしそういう意味で読み手の経験を資源として利用しようとしているなら手抜きだと思う。代入主義の書き手はそのほうがイメージが限定されないので、読み手に応じた汎用性があるみたいなことを言うが、書き手が構築したイメージを楽しむのでなければ人の作品を読む意味はないだろう。代入主義の書き手がやろうとしていることは読み手の記憶についたタグを引っ張ろうとしているだけだ。
 話が脱線したが、短歌に戻る。
 この短歌の「こんな」や「どんな」はどういうものなのか。この歌が本の中で置かれた位置をまず考えてみると、筆者がテクストとして用いている『ハッピーロンリーウォーリーソング』(角川文庫)は『てのりくじら』と『ドレミふぁんくしょんドロップ』を合本にしたものであるが、この短歌はその本の2番目に配置されている。1番目は、
・あしたには消えてる歌であるように冷たい音を響かせていた
という短歌である。これは文庫のための新作である。内容としては「自分の短歌についての短歌」である。本でいえば「文庫版のための序」みたいなものであろう。この歌の次に置かれているのが、
・こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう
である。読者がこれから読むことになる約100首の短歌の冒頭に置かれていることになる。一首の「こんな」とか「どんな」はこの歌だけでは内容が不明だが、それは以下の100首が言い表しているというふうに読める。つまりこの歌はサブタイトルのようなもので、以下の100首を予告しているというか総括しているものなのだ。「こんな」や「どんな」が指示するものは当該短歌の中には存在しないけれども、同じ本の他の短歌として存在するのである。
 こう書いてくると、本での配置はわかるが、それではこの歌が書かれた瞬間を捉えていないと反論されるかもしれない。しかし作家主義的に考えても、このあからさまな脱具象性を見ると、「この短歌は作家主義的に理解するよりは、それが置かれたコンテクストで理解してくれ」という意図のもとに書かれたように思える。
 読み方の順序は制作の順序と一致しない。どういう心情においてであれ一旦出来上がった歌は、それがどういうふうに使われるかによって読まれ方が異なる。「使う」というと何か嫌な感じがするかもしれないが、この短歌はそのように使うことができる短歌なのである。実際、枡野は自分のブログのタイトルにこの短歌の前半部分を用いていたことがあるように、意味が限定されていないために使途に応用がきくコピーでもあるのだ。しかしそれは読み手に経験の代入を要請するものではなく、それが指示するものを一首の外部に作者が配置しているものなのである。
 この短歌は読み手の経験を安易に利用しようとせず、あくまで作者の「こんな」であり「どんな」となっていることを一首の外部を持ちださずに、別の角度から説明してみる。
(念のため書いておくと、筆者(見崎)は、読み手の経験を指示詞によって作品の中に繰り込もうとするコソアド作品には批判的で、あくまで作者のコソアドによりかかったものを評価するというスタンスである。このことは上述の文章から読み取れると思うが、ネット利用者は多様でそのリテラシーの落差が激しいことを再認識したのであえて注釈しておく。)
 この短歌のコソアドは作者の経験=感覚に依拠したものであり読み手は容易には近づけないものであるのは、コソアドで指示される対象(ふざけたきょうの内容)が、安易な理解を拒むものであるからだ。何故かというと、「ふざけたきょう」は語のコロケーション(自然なつながり)としては違和感があるからである。
(コロケーションについては下記がわかりやすい。)
http://park1.wakwak.com/~english/note/note-collocation.html
 もし筆者が同種の歌をつくったとしたらこんなものになるだろう。
・こんなにも無意味なきょうである以上どんなあすでもありうるだろう
「無意味」は「無益」でもいいが、要は無駄な一日であったということだ。いずれにせよこういう歌をつくるとき、筆者の感覚では「ふざけた」という語を持ち出せない。語のコロケーションとして「有意義な一日」とか「充実した一日」といったものがあり、その反対の状態として「無意味な一日」「無駄な一日」「むなしい一日」が思い浮かび、それを「無意味な今日」「無駄な今日」として発展させることはできる。しかし「ふざけた一日」とか「ふざけたきょう」は思いつかない。だから「こんなにもふざけたきょう」と言われても、それは語り手にとってそういう何かがあったのだろうとは思えても、筆者の経験をそこに簡単には代入できないのである(うんと考えれば思いつくかもしれないけれど)。その点でこの歌はコソアドで読み手を誘っていながら、一方で安易によせつけないという奇妙なものになっている。(注:ここで「奇妙な」というのは評価してそう書いているのである。文芸においては凡庸さや陳腐さよりも奇妙さ=新奇さのほうが価値がある。)
「無意味なきょう」というのは「最悪なきょう」とは微妙に違う。「無意味なきょう」はニヒリスティックで、何もなかった「きょう」ということだ。いわば「ゼロ」である。一方「最悪なきょう」は悪いことではあっても何か出来事があった「きょう」である。こちらは「マイナス」かもしれない。「ふざけたきょう」は「最悪のきょう」に近い。それは何も起こらなかったのではなく、何かしら事件が起きたのである。何も起こらなかったということは生命力が枯渇した状態にあったといってもいい。たとえそれが「ふざけた」ものであるにせよ何かしら事件が起きたということは、生命力が活性化された状態にあったということだ。今日、何も起こらず無意味な一日であれば、明日も何も起こらず無意味な一日で終わる可能性が高い。しかし今日、生命力が賦活された状態にあれば、明日もきっと何かが起こる。そういう意味で「ふざけたきょう」はそれが良い方向か悪い方向かは別にしても「勢い」だけは持っている。
 この歌は二とおりに読める。ひとつは、今日で底を打った、こんなに「ふざけた」一日を乗り切ったので、やや不安があるが、どんな明日がきても大丈夫だ、乗り切れるだろう、どんとこい、というポジティブなもの。もうひとつは、今日で箍(たが)がはずれて無秩序になり、今後はどんなアナーキーな明日になるかわからないというネガティブなもの。ただ、それがネガティブであるとばかりはいえない。混沌から何かが生まれるかもしれない。「ふざけたきょう」は、ひっかきまわされた今日である。いろんなことが化学反応しあってそこから思いもしなかった活路が開けるかもしれない。絶望と希望がないまぜになった明日なのである。一旦腹をくくってしまえば、どうなるかわからないというのは楽しみでもある。少なくとも、澱(おり)のように堆積した古くさいものは吹き払われ、日常の生きる場(システム)は活性化されたのだ。
 語り手は「こんなにもふざけた」今日と言っている。「あんなにもふざけた」今日ではない。もし「あんなに」であれば、語り手を打ちのめした「ふざけた」出来事は既に語り手からある程度の距離をもったものとして冷静に眺められたが、語り手はいまだ「こんなにもふざけた」と言っており、まだその「ふざけた」の圧倒的な影響下にいるのだ。
 しかしながら、そのダメージもなんとか制御されつつあるようだ。語り手は落ち着きを取り戻しはじめているようにもみえる。というのも「きょう」はこうだった、「あす」はこうなるだろうという枠組みで整理されているからである。どんなに「ふざけた」ことがあったとしても、それは「きょう」の出来事の範囲内に納まっているのだ。いわば日記を書くように今日のこととして内省されており、「ふざけた」出来事としてコンパクトにまとめあげられているのだ。あまりにも支離滅裂で収拾のつかない出来事であれば語り手の頭はパンクしてこんな落ち着いた歌を詠んでいられない。逆にいえば、歌をつくることで今日の出来事を自分の人生の中になんとか位置づけようとしているのである。そしてそのことは「が」が「で」ではないことによく表れている。この歌は、
・こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう
であって、
・こんなにもふざけたきょうである以上どんなあすでもありうるだろう
ではない。「きょうが」を「きょうで」に置き換えただけだが、この違いは大きい。もし「きょうで」となっていたら、そう思っている自分の意識はまだ今日に属し、今日の終わりあたりに一日を省みたというだけの歌になってしまうが、「きょうが」とあることによって、「きょう」を対象化し外から眺めている感じが強まる。「きょう」や「あす」はたんなる一日として抽象化される。切実さが失われるかわりに「どんなあすでもありうるだろう」という「ありうる」可能性が思惟しえるようになる。これは抽象性が高まったゆえに可能になる思考のはたらきだ。しかし仮に「きょうで」となっていて、今日の自分の具体的な滑稽さに捕われていたら、今日のことを考えるのに精一杯で、明日がどうなるかということにまで頭がまわらなかっただろう。それがネガティブな方向であるにせよポジティブな方向であるにせよ、明日のことにまで思考をめぐらすには今日とか明日を均質な時間の流れとして抽象化してとらえなければならないのだ。
 この歌はコソアド言葉で書かれていたり、「ふざけた」も、それがどうふざけたものなのか内容が不明の、いわば骨格だけが示されている歌であるが、骨格だけの歌でも、陳腐なものと斬新なものとがあり、短歌が一般に「ふざけたきょう」とくればその後にはそれについての内省が続くものだとすれば、この歌はそれを振り切って一気に「あす」への心構え=対処のようなものにまで進んでいる。そこが新しいといえるのではないか。

かなしみはだれのものでもありがちでありふれていておもしろくない

 たとえば失恋したときの「かなしみ」など、当人にとっては切実なことでも他人にとっては「ありふれ」た風景のひとつでしかないことがある。もっと切実な親しい者の死についても、当事者の「かなしみ」は他者にとっては「ありふれ」た反応の一つでしかない。あいかわらず「泣ける小説」や「泣ける映画」がもてはやされている。この短歌をそういったものへの批判として読むことができる。
 トルストイは『アンナ・カレーニナ』の有名な冒頭で「幸福な家庭は皆同じように似ているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸だ」と書いたが、この短歌はその書き出しをさかさまにしたものであるかのようにいっけん思える。しかしこの短歌の「かなしみ」を「よろこび」や「いかり」に変えても同じような歌は詠めるだろう。結婚式の喜びは身内以外には「ありふれ」たものだし、弱者を見捨てる政治への怒りも「ありふれてい」る。要は私たちの感情は既に表現されたものをなぞるばかりで、陳腐な反応しか示せないのに、それをいちいち特別なことのように祭り上げるなというシニカルな視線である。
          *
 語り手は「かなしみ」にではなく、それが「ありがち」であることに反応し、それゆえ「おもしろくない」と切り捨てることで「かなしみ」という感情に価値をおかないかのような態度をとっている。面白いとか面白くないとかいう判断を示すことは、他者の「かなしみ」に共感しようとする態度ではなく、それを自分には直接関わりのないものとして対象化し消費しようとする態度である。それは道徳的に非難されるべきものというより、誰にも少しは身に覚えがあるはずのものである。
 この短歌は外見に特徴があり、全部ひらがなで書かれている。漢字かな混じり文よりも読みにくい。適度に漢字が混ざっていれば瞬間的に意味を把握できるが、ひらがなばかりだと一字ずつ文字を目で追わなければならない。そのため、たどたどしい読みになる。たどたどしい読みにおいては、全体が一度にわからないので細部に気をとられながら読むことになる。ここで言う「かなしみ」って何だろう、「ありがち」ってどういうことだろう、という具合に、一度に理解されてしまうときには見過ごされてしまう意味に気を配るようになる。書き手は、全てひらがなにすることで、いっけん誰にもわかりやすく書いたように見せかけているが、実はすんなりとは読まれたく(理解されたく)なかったのだ。違う言い方をすれば、悲しみは誰のものでもありがちでありふれていて面白くない、と語る語り手の語りをそのままストレートに受けとるなということである。この語りは字義どおりのものではなく、もっと屈折した心情のあらわれであることを、あえてたどたどしく読まれることで表現したかったのだと思える。どういうことかというと、「ありふれていておもしろくない」と切り捨てられる「かなしみ」は、実は、語り手自身のそれでもあるということなのである。
 当人にとっては切実な「かなしみ」が「ありがち」であること、そして「ありがち」と同義語である「ありふれていて」を繰り返して「かなしみ」の状態が特別な状態ではないということを歌の語り手は強調する。しかしそれはまるで語り手が自分に言い聞かせているかのようでもあるのだ。どういことか。実は、「おもしろくない」と言っている語り手自身が本当は何か「かなしみ」を抱えていて、語り手のその「かなしみ」に比べたら他の人の「かなしみ」など「ありふれ」たものだと感じているのではないか。しかしこの歌はそこから反転し、この歌をつぶやくことによって語り手自身も自分の「かなしみ」を「ありふれ」たものであるとみなし、そんなに落ち込むなと自分を慰めているのではないだろうか。

振り上げた握りこぶしはグーのまま振り上げておけ相手はパーだ

推理小説にはラストでそれまで構築されていた世界が一瞬で変わってしまうようなものがある。例えば歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』(文春文庫)、貫井徳郎『慟哭 』(創元推理文庫)、乾くるみイニシエーション・ラブ 』(文春文庫)など、いくらでも思いつく。古典的なところではアガサ・クリスティーの『アクロイド殺し』があるが、叙述トリックはたいていそうだ。叙述という作品世界を構築する基盤にしかけられたトリックなので、その上にのっている世界のひっくり返されかたも根底的なものになる。逆にいえば根底的にひっくり返したいから叙述トリックを用いるのであるけれども。
この短歌もおしまいの一語でものの見え方がガラリと変わる。先に取り上げた「本当」が二度出てくる歌では、最初と最後では「本当」の意味が変わっていたが、この歌でも「グー」の意味が相手を殴るための「握りこぶし」からジャンケンの「グー」へと変質する。緊迫した場面がたちどころに脱力したものになる。
変化してゆく様子を少し丁寧に見てみる。まず最初「こぶし」という把握の仕方は、たんに手を握られた形を描写したものにすぎない。人が「握りこぶし」をつくるのは相手を殴るときだけではない。身体に力がはいるときはつい「握りこぶし」をつくる。その意味で「握りこぶし」じたいに暴力的な価値が内在するわけではない。しかしこの歌で「握りこぶし」が相手を殴るためのそれであると思わせているのは「振り上げた」という動作がつけられていることによる。こうなると「握りこぶし」はパンチを放つための形にしか見えない。だが繰り返すが「握りこぶし」自体は価値中立的である。
歌は「握りこぶしはグーのまま」とある。ここで読み手は多少の違和感を感じはじめる。小説でいえば伏線である。どこに違和感があるかというと「握りこぶし」のすぐあとにトートロジーのように「グーのまま」と付け加えているからだ。手の状態としては全く同じなのに、あえて言い換えをしているのである。そこにチラッと作為的なものを感じはするが、この段階ではまだ意図がわからない。わからないままここで「握りこぶし」と「グー」が併存することになる。そして最後に「パー」とあることによって併置されていた「グー」のほうに力点が移り、認識の枠組がジャンケンになる。違和感として存在した伏線がここで回収される。「握りこぶし」と「グー」が併存していた段階で暴力的な場面の裏にジャンケンというゲームの世界が滑り込まされていたのだ。こうやって見てみると、既に「握りこぶし」といういささか古めかしい言い方をされていた時点でジャンケンへの移行のたくらみ=兆候が隠されていたことがわかる。もしこれが「振り上げた握りこぶし」ではなく「振り上げた怒りのパンチ」となっていたら、ジャンケンへの移行の作意が目立ちすぎてシラケてしまうだろう。「握りこぶし」は、読者が自分の先入観で勝手に勘違いして読んでいたと思わせるあわいのところに位置する言葉であって、ちょうどいいのだ。
これまで「握りこぶし」と「グー」という似たものが繰り返されることを見てきた。それは世界の見え方が暴力からジャンケンゲームに移行するための装置であった。そう考えてくると、この歌で繰り返されるもうひとつ言葉「振り上げ」るの意味もわかってくる。短歌のように短い形式で何かを語る場合、同じ言葉を繰り返すことは情報量が減少してしまうので通常は避けるはずである。にもかかわらずそれをやるということには何か理由があるはずだ。違う言い方をすれば、それをやったことの効果が生まれるということである。言葉を反復すればリズムが生まれるが、それをそこでやることの意味である。
はじめの「振り上げた」は「握りこぶし」について言っている。次の「振り上げておけ」はジャンケンの「グー」について言っているものである。つまり別の世界の身体の動作なのだ。だから「振り上げ」るという同じ言葉を繰り返すことは世界の見え方の二重性(ダブリや残像)を読者にもたらしていることになる。この短歌に流れる時間は直線的に進むというよりは、二度目の「振り上げ」るの直前で切断され、最初の「振り上げ」るのところに移動されて貼付けられる。枡野は「短歌は一行書きにせよ」とどこかで書いていたが、この短歌を図像的に書けば二行の分かち書きになる。

 振り上げた握りこぶしはグーのまま
  振り上げておけ相手はパーだ

二行めは一枡空けておいたが、この空間は世界の変化(ズレ)をもたらす認識の遅れを表現したものである(我ながら芸がこまかいですな)。
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相手を殴るための「こぶし」がただのジャンケンの記号へと無害化してしまったわけだが、そうなったのはおそらく語り手自身がそうしたかったからである。どういうことかというと、語り手も「こぶし」を「振り上げた」まではよかったが(つい勢いでそうしてしまったのだろう)、そのあとこの場をどう収めればよいかわからなくなってしまったのだ。自分も本当は「こぶし」を振り下ろしたくなかったのだろう。だから振り下ろさないでよいようにこの状況をジャンケンに見立て、認識の枠組みをスライドさせたのだ。
この状況がジャンケンだとすると、相手がパーを出しているので、こちらがグーをだせば負けてしまう。もちろん相手が実際にパーをだしていたのではない。語呂合わせによってそう見立てられたのである。だからこれは自身の認識のなかでのみ完結する論理(見立て)である。漫画風に言えば、軽く「ふっ」と笑うのだが、その意味が相手にわからない。おそらく相手はなぜこちらが動作を途中でやめたかわからない。
このジャンケンの見立てをもっと推し進めてみると面白い。相手はパーだとみなされているのだが、実はそうではないのだ。相手は先にパーを出す(あえてパーとみなされる)ことによって、こちらのグーを封じているのである。「振り上げた握りこぶし」を振り下ろせないというかなしばりのようなジレンマに追い込んだのだ。そもそも「振り上げ」たくなかったのかもしれないのに、その「振り上げた」腕が疲れても振り下ろすこともできないのだ。もしこの状態でジャンケンの論理で勝とうと思えば、パーにたいしてチョキを出すしかない。しかしチョキの手の形をよく見ると、それはピースサインになっている。つまり戦いは終わり、平和にやろうよということになる。パーの相手には暴力(グー)ではどうしても勝てない仕組みになっているのだ。ジャンケンという型式にスライドされることによって、立場が強くなったのはむしろ相手のほうかもしれない。この歌が語り手の内面の言葉だとすると、「握りこぶし」を「グー」に見立ててしまうような内省=やさしさは、自分自身を縛ってしまうものになる。
この歌ではジャンケンは見立てに用いられているが、実はこの歌を知ったあとでは、ジャンケンをするときにこの歌が脳裏をかすめて、なんだかジャンケンにさえ悲しみを感じるようになるだろう。

枡野浩一の短歌は「わかりやすい」か?

これが、このウェブログを書き出そうと思った初発の動機=疑問である。
もっと正確にいうと、枡野浩一の短歌は「わかりやすいだけ」なのか、ということである。
枡野短歌が「わかりやすい」ことに異を唱えるものではない。しかし、それ「だけ」なのか、ということである。
枡野短歌は「わかりやすく」書くことをめざしている。作者がそう思っているからといって作品が「わかりやすく」なっているかどうかは別の問題であるが、とりあえずは「わかりやすく」なっていると言うことはできる。
だからそれを、散文を読むように次から次へと読んでは「アハハ、ウフフ、面白かったね」と、表層をツルッと読む「サーフィン型のエンタテインメント」として享受することも、あるいは「こういう気持ちわかるー」というような「あるある型共感」として読むこともできる。
しかしそれは「マスmass(大衆)」のありきたりな感性に「ノー」をつきつける枡野短歌に対するありきたりな読み方(解釈のしかた)というべきであろう。
(尤も、実は大衆のありきたりな感性などというものは存在するものではない。ありきたりな言葉で書かれてしまうからこそ、そう見えてしまうだけだ。だから枡野短歌は大衆を否定するのではなく、大衆を作り出してしまう様式化された感受を否定するのだ。)
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糸井重里命名し、みずからもそれを名乗っている「かんたん短歌」の定義は、「簡単な言葉だけでつくられているのに、読むと思わず感嘆してしまうような短歌」(『かんたん短歌の作り方』(二〇〇〇年、筑摩書房)、八頁)である。しかし「かんたん短歌」は「簡単」につくれる短歌のことではない。「とてつもないテクニック」が必要である。だから同書のような入門書が必要なのだ。一方「かんたん短歌」はつくるのがむずかしすぎる短歌というわけでもない。実際、同書には素人がつくったかなり面白い作品が掲載されている。要は「かんたん」という言葉にまどわされないようにということである。
筆者が推測するにおそらく実作者として枡野は、誤解をうみやすい「かんたん短歌」という呼称を受け入れるのに一瞬の躊躇があったのではないだろうか。しかしそれは枡野ふうの短歌を世に広めるのに役立つネーミングとして戦略的に受け入れられたのであろう。
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さて、「かんたん短歌」はつくるのは簡単ではないということを確認しておいた。では読む(解釈)のは簡単なのか。先の定義では、「簡単な言葉だけでつくられているのに、読むと思わず感嘆してしまうような短歌」ということであった。「簡単な言葉だけでつく」ることをめざすということは、簡単に読めることをめざすということであろう。簡単に読めることは「わかりやすい」こととほぼ同義である。
枡野浩一の長編小説『ショートソング』(二〇〇六年、集英社文庫)にはこういう会話がある。先輩の歌人(伊賀寛介)が後輩に短歌についてレクチャーする場面。テーブルには何人かの歌人たちの歌集が並べられている。

「あの……すみません、僕にはなんか難しいみたいで……伊賀寛介歌集はすごくわかりやすくて、面白かったのに」
「まあ、初心者には、そうかもな。(以下略)」(五五頁)

この小説では伊賀寛介は枡野浩一本人のある一面をモデルにしている(もう一人の主人公で短歌結社に入らない国友も作者を分有している)。フィクションの登場人物イコール実在の人物では決してないが、「伊賀寛介歌集はすごくわかりやすくて、面白かった」という感想を、もしこれが「かんたん短歌」への感想であるとするなら、「そうだろ、面白いだろ」と伊賀寛介は喜んでいいはずである。まさに「かんたん短歌」のめざすものが理解されているからである。しかし伊賀寛介はここで何故か「まあ、初心者には、そうかもな」などと屈折した留保つきの返事をしているのである。ここには、「かんたん短歌」を「わかりやすくて、面白い」ものであると受けとるのは「初心者」の解釈でしかないということが開陳されているのだ。「初心者」でなく中級、上級者にはもっと別様の解釈があることがほのめかされている。
「かんたん短歌」は先に述べたようにつくるのが簡単ではなく、今またここで引用したように解釈も簡単ではない。世間一般では「かんたん短歌」のイメージはその語感からして、つくるのも解釈するのも簡単な短歌であると思われているだろう。しかしそうではない。もう一度、先の定義を引用してみよう。
「簡単な言葉だけでつくられているのに、読むと思わず感嘆してしまうような短歌」
ここには、つくるのも読むのも簡単だとは書かれていない。それはたんに「簡単な言葉だけでつくられている」短歌なのだ。(後半の「感嘆」するというのは語呂合わせで導かれた言葉であろう。「感嘆」することは何も「かんたん短歌」の本質ではなく、他の短歌についても言えることである。)
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このブログでこころみるのは「かんたん短歌の作り方」ではなく「かんたん短歌の読み方」である。ただしそれは作者の意図を闡明するようなものではない。むしろ枡野浩一自身も知らなかった枡野浩一が発見できるようなものになるだろう。簡単な表現の裏に豊穣な世界がひろがっているのを示すことができたら本望だ。
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この試みを作者自身がどう受け止めるかはわからない。面白がるよりは、創作の邪魔になるとして煙たがるかもしれない。枡野はこう書いている。
「益田さんは『(自作を読者に)どう受けとめられても気にならない』と言うけど、私は『自分の意図を極力そのまま読者に伝えたい』という欲望が強いみたいだ。もちろん最後の最後はどう曲解されてもオッケーなんですが、最初から読者の『善意の誤読』を期待するのが、ずるい気がしてヤなの。」(『日本ゴロン』二〇〇二年、毎日新聞社、128頁)
枡野がここで「最初から読者の『善意の誤読』を期待するのが、ずるい」と言っているのは、言葉どうしの結束がゆるいままにして作者による意味の限定をひかえめにしておき読者による多義的な解釈へと作品を開いておく、そういう読者まかせのやり方がいやだということだろう。「太麺と細麺を選べるラーメン屋も大嫌い。『うちの店の味はこれ!』と堂々と押しつけてほしい」と書いていることからもわかる。
たしかに、読者に作品を開いておくのは作者の段階で意図すべきことではない。あえてそうするとしたら、それは力量不足の糊塗かイヤミになるかのいずれかだろう。というのも、それは読者が勝手にやってしまうことだからだ。「読者に作品を開」くという「意図」すら読者は「誤読」する。
枡野が「自分の意図を極力そのまま読者に伝えたい」ために選んだ方法が、できるだけ簡単な言葉で短歌を書くことなのであろう。簡単な言葉であれば読者の誤読も減るというものだ。しかし枡野がどれほど「自分の意図を極力そのまま読者に伝え」ようとしても、「自分の意図」とは異なる無数の解釈が存在してしまうことは避けられない。あまのじゃくな筆者はここで、いっけん簡単な言葉だけで構築されていて他に解釈のしようがないように見えるものについて、そうではなく多様な解釈がありうるということを意地悪にも示したいという誘惑に抗しえない。テレビドラマの『33分探偵』ではないが、「この短歌の解釈、かんたんには終わらせませんよ!」ということだ。ただし『33分探偵』と違って、独りよがりの「誤読」でない範囲で提示していくようにしたい。(ここで用いる「誤読」とは、「作者の意図」から逸れるものを言うのではない。あきらかにテクストの通常の読みから逸脱したこじつけを言う。)テクスト論的には、あえてする誤読戦略があるが、今回は対象になじまないので採用しない。
(誤読については次のサイトが雑学ふうに面白く読める。中盤あたりには短歌についての言及もある。)
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/gokai.html

先に『ショートソング』を引用しておいたが、そこで作者が登場人物の口を借りて言わせていることが気になっている。枡野も、「自分の意図を極力そのまま読者に伝えたい」と思う一方で、それだけでは終わらせたくないと思っているのではないだろうか。枡野の実存は「かんたん短歌」にぴったり一致するというよりは、「かんたん短歌」という戦略からはみ出した部分にも広がっているように思う。
「かんたん短歌」は簡単な読みをほどこして済ますこともできる。受容の仕方としてはそれで一旦完結しているといえるだろう。しかしさらに深く読むこともできる。もしかしたらそのほうが作者の深層意識に近いかもしれない(それを探ろうとか近づこうというわけでは決してないけれども)。少なくとも伊賀寛介は楽しんでくれるだろうことは間違いない。

本当のことを話せと責められて君の都合で決まる本当

この短歌を読んで、君のお相手である僕(仮にそう呼んでおく)が、君にふりまわされてうんざりしているのか、それとも君のわがままをほほえましく思っているのか、いずれにとるかは読む人次第であろう。
それが分かれるのは、「本当のことを話せと責められて」という部分を、文字どおり責め立てられているととるのかどうかにかかっている。この短歌は男女のやりとりを描いていると解釈するのが一般的であろうが、警察での取り調べのような有無をいわせぬキツさもある。強要された自白による冤罪を風刺しているかのようだ。これは冗談で言っているのではない。この短歌は取り調べのようにみえるというよりは、むしろ、男女の会話を取り調べでの尋問に見立てているのである。しかしその尋問をシリアスに感じるのか滑稽なパロディと感じるのかは、思い浮かべる場面の具体例によって異なってくる。
筆者(見崎)には、二人の仲は険悪なものではなく、ほほえましいもののように思える。それは、君に向き合っている僕に余裕が感じられるからだ。僕の余裕が描かれているわけではない。何も描かれないので、わがままな君を無抵抗で受け入れている感じがするのだ。
「本当」のことさえ「君の都合で決ま」ってしまうのだから、もっと軽微なことは、それこそ君の勝手やそのときの気分や思いつきで決められてしまうのだろう。
       *
具体的な場面を考えてみた。

     (1)
「今まで何人の女の人とつきあってきたの?」
「10人くらいかな」
「本当? そんなにいるわけないでしょ、そんなにもてないでしょ」
「あ、そうだ、5人とかかな」
「うそー、まだサバ読んでる」
「ああ、この前別れた彼女がはじめてだったかな」
「そうよね、一人に尽くすタイプよね(だから私にもそうしてね)」

     (2)
「ねぇ、おなかすかない?」
「ん? 大丈夫だけど」
「本当? おなかすいてるでしょ」
「ああ、そういえばちょこっとすいてきたかな」
       *
この短歌では最初と最後に「本当」という言葉が置かれている。だが、最初の「本当」と最後の「本当」では、同じ字面でもニュアンスが異なっている。「本当」の意味がズレていくところに一首の面白さはある。一首を読むという過程を経ることによって意味が変化していく。
この「本当」という言葉の意味は「本当にあった怖い話」の「本当」のように、いくぶん軽い。「本当?」と口癖のように繰り返す女の子がいるが、言葉は繰り返されるほど意味が希釈され薄くなってゆく。この歌ではその意味の希薄化が表現されている。
最初の「本当」は真実という意味に近い。しかしそれは君には受け入れられないものだったので、「君の都合」によって耳あたりのいい「本当」へと書き換えられてゆく。もしこの歌が「真実を話してくれと責められて……」というものだったら、女の子の目には涙が浮かんでいるものになるだろう。真実なら変えられない。
「本当のことを話せと責め」たてる女の子は、口で言うこととは裏腹に、真実としての「本当」を知りたいのではない。真実は不動なので変えられないが、「本当」は二人の関係において残されることになる解釈された歴史である。
       *
この短歌にはキモになる言葉がいくつかある。ひらがなに書き直してみよう。

・ほんとうのことをはなせとせめられてきみのつごうできまるほんとう

こうしてみるとこの31文字のうち濁音になっているのはたった2文字。しかもそれは「都合で」のところに集中している。音として聞くと「都合で」の部分が濁音によって強調され、一番耳に残ることになる。「本当」が変質する最大の要因である君の「都合」がこうして際立たせられる。
       *
「君の都合で決まる本当」ということは、何が「本当」であるかの答は、僕にではなく君の中にあるということだ。僕は君に問いつめられ「責められ」るけれども、それはいわば修辞的な疑問であり本当の疑問ではない。既に答えは決まっているのだ。君は何が本当なのかという自分の推測にすぎないものを僕に押しつけようとしているのだが、その推測を僕の口から言わせたいのだ。僕の口から言わせることで、たとえ嘘でもそれは「本当」になる。嘘が「本当」になるのは君が僕を信じているからだ。
君は自分の「都合」がよいような「本当のこと」を聞きたい人である。しかし一方で、僕もまた君の「都合」に合わせて話を変えてしまうような人だということでもある。君ひとりが一方的に「都合」のよい「本当」をつくりあげるのではない。それは二人の共同作業なのだ。僕は君に「責められ」る。「責められ」ることで主体の中に君の侵入を許す。いくぶん君の言いなりになっている自分。主体を少し譲り渡すことは、くすぐったく気持ちのいいことでもある。君は僕にとっての女王様だが、その女王は僕という臣下に依存している。この二人は相互依存の関係にある。
歌の最初と最後に置かれた「本当」は、「本当=真実」から「本当=嘘」へと変化する。そのウロボロスの円環が破綻せず閉じている限りはこの二人の仲は続いていくだろう。